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カニカマは能登だからこそ誕生した。土地が育てた開発者精神で食文化を未来へ|株式会社スギヨ

カニカマは能登だからこそ誕生した。土地が育てた開発者精神で食文化を未来へ|株式会社スギヨ

戦後の食品三大発明と称されることも多いインスタントラーメン、レトルトカレー、カニカマ。石川県七尾市にある水産加工会社スギヨは、そのカニカマを発明した企業だ。1972年、カニ風味のかまぼこである「かにあし」を発売すると、爆発的ヒットに。実は、人工クラゲの開発に試行錯誤するなか、失敗から生まれたものだった。

発売当初は「ニセモノだ」と反発も招いたが、今ではすっかり食卓の味方として愛されている。商品や伝え方は移り変わり、売り上げは伸び続けてきた。アメリカでもローカライズに成功し、「日本の練り物」ではなく、「シーフード」の一つとして定着している。

スギヨにとって、2024年の能登半島地震は大きな試練となった。同時に、能登に深く根を張り、地域とともに歩んできたことを実感したという。食品と会社の発展は、能登の豊かな恵みがあってこそ。代表取締役社長の杉野浩也さんと広報担当の水越優美さんに、スギヨの開発者精神、そして能登の食文化を届けることについて聞いた。

株式会社スギヨ(石川県):最新のプレスリリースはこちら

杉野 浩也のプロフィール画像

株式会社スギヨ 代表取締役社長

杉野 浩也(Sugino Hiroya)

水産卸売会社を経て、2015年スギヨ入社。2019年に取締役、2022年に専務取締役就任。2025年9月に代表取締役社長就任。カニカマを世界で初めて開発した先代の会長、杉野芳人は祖父にあたる。能登半島地震からの復興に向け、地域と共に歩む決意でいる。石川県出身。

水越 優美のプロフィール画像

株式会社スギヨ 経営企画室 広報

水越 優美(Mizukoshi Yumi)

地元の新聞社、アメリカの日系雑誌社勤務を経て、2018年スギヨ入社。入社以来、広報として社内外に埋もれていたスギヨのストーリーを掘り起こし、応援してくださる方々と体験を共有しながら発信している。能登半島地震以降、広報に何ができるか模索中。石川県出身。

「ビタミンちくわ」から始まる発明精神

スギヨの「発明品」はカニカマだけではない。革新的な商品をいくつも世に送り出してきた歴史がある。ルーツをたどると、江戸時代までさかのぼる。もとは漁業を営んでいたが、明治時代に入ると鮮魚問屋を兼業するようになり、やがて魚を原料に練り物を作り始めた。

大きなブレイクスルーとなったのが、1952年に発売した「ビタミンちくわ」。ちくわ自体は平安時代から食べられていたとされるが、スギヨでは油ザメを原料にしたちくわを作るようになった。

「当時、七尾湾に大量の油ザメがいました。このサメが魚を獲る網を食いちぎっていて、地元の漁師さんたちが『スギヨさん、このサメをうまく使えないか』と。それで、サメを捌いて、その身でちくわを作った。サメの肝からとれる肝油はビタミンAが豊富なので、『ビタミンちくわ』と名づけました」(杉野)

スギヨ 『ビタミンちくわ』イメージ
左:アブラツノザメを持つ社員(1958年)/右上:ちくわを製造する様子/右下:段ボールに詰められたビタミンちくわ(1962年)

栄養不足に悩まされる戦後のヒット商品に。中でも長野県で人気を集めたというが、なぜだろうか。

「長野は海なし県ですよね。冷蔵技術が発達していない頃、練り物は傷んでしまい、美味しく食べられませんでした。私の曽祖父が、個包装にするなどいろいろと工夫を凝らして。極めつけに、ちくわのなかに塩を詰めたのです。雑菌の繁殖を防ぐためでしたが、海なし県では塩も貴重ですから大変喜ばれた。スギヨのちくわを買うと塩もついてくると広まって、ソウルフードと呼ばれるほどご愛顧いただくようになりました」(杉野)

今も「ビタミンちくわ」の7割は長野県で売れているという。長野県の問屋や消費者とのつながりは変わらず深い。

「長野県の小学生がすごく応援してくれています。一緒に商品開発もしましたし、震災後は能登に来てくれて。スギヨの駐車場で踊ったり歌ったりして、エールを送ってくれたのです。地域の人たちと従業員、合わせて約100人が集まったのですが、涙を流して見ている方もいました。家が倒壊したり避難所生活を送ったりする日々のなかで、胸に響いたのだと思います」(水越)

カニカマ誕生秘話と伝え方の葛藤

清田さんの開発ノート
上:カニカマ開発者の一人、清田稔さん/下:清田さんの開発ノート

カニカマ誕生の発端になったのも、「ビタミンちくわ」同様、周囲からの頼みごとだった。珍味業界では、珍味に使う原料であるクラゲを中国から輸入していたが、1960年代後半、日中関係の悪化でクラゲの輸入がストップする。その頃すでに「カラスミもどき」を作っていたスギヨに「『クラゲもどき』も作れるんじゃないか」という期待がかかった。

研究開発をスタートし、アルギン酸、卵白、塩化カルシウムを使い、クラゲに近い食感を再現することに成功する。しかし味をつけると食感が変わり、行き詰まってしまう。そんな時、ふと思い立って刻んで食べてみた。

それが、カニの食感に似ていると気づいたのです。そう気づけたのは、やはり能登という土地にカニを食べる文化があったからだと僕は思っています。味のない状態で、食感だけで思いつくのはなかなか難しいでしょう。当時の能登では、子どものおやつに香箱ガニが出てくるくらい、気軽に食べていましたから」(杉野)

開発者たちはクラゲの失敗からヒントを得て、すり身を使った人工カニ肉の生産へと方向転換する。そうして1972年、世界初のカニ風味かまぼこ「かにあし」が発売された。

カニ風味かまぼこ「かにあし」

一つの問屋が興味を持ち、築地市場に送り出されるやいなや、大きな話題に。2ヵ月ほどで爆発的なヒットとなり、1日に5トントラックが5台来ても足りなかったという。

ところが、目新しい商品は反発も生んだ。「カニだと思って買ったのに、ニセモノだ」という苦情や抗議が殺到したのだ。新聞には「コピー食品」とも書かれたが、スギヨにはただの模倣品ではなく、知恵の産物だという自負があった。本物のカニだと勘違いして買ってもらいたいわけでもない。商品パッケージを何度も変えながら、伝え方を模索する。

スギヨ 商品パッケージ

カニカマというものがそれまで世の中にないですから、丁寧に説明しなければいけません。工夫を重ね、林家こん平さんが『かにの様でかにでない!』と歌うテレビCMで全国に訴求しました。これは、もしかしたらカニカマの最初の広報PRといえるのかもしれませんね」(水越)

テレビCMによって、ますますお茶の間で人気に。社会や消費者にどう伝えるのかを考え抜いた結果、カニカマは食卓の“当たり前”となり、戦後の食品三大発明の一つに数えられるようになったのだ。

国内でヒットを果たした1970年代、アメリカでは健康志向の高まりを受けて、シーフードブームが起きていた。スギヨはカニカマのアメリカ進出を試みた。広めるにあたって、日本とは違うアプローチをとったという。

「ちくわなどの練り物はすでにアメリカに輸出されていました。ただ、『練り物の一種のカニカマです』と紹介すると、日本の変わった食べ物だというイメージになってしまうかもしれません。それで、最初は日系のスーパーには卸さなかったと聞いています。ユナイテッド航空など、アメリカ人が自然に触れるところから展開して、先入観なく商品を伝えていこうとしたそうです」(水越)

1977年頃、ユナイテッド航空の機内食「シーフードクレープ」で使われるようになる。その後、「シーレッグス」として売り込んだカニカマはアメリカでも定着。1987年には現地法人で生産するようになり、アメリカ人の味覚に合わせた新ブランド「アラスカン・スノーレッグ」を展開した。現在では、スーパーでもカニや鮭などと並んで陳列されていることが多いという。日本の珍味ではなく、シーフードの一つになっているのだ。

今や、ヨーロッパ、アジア、中東などでも食べられる世界的な食材に。ローカライズに成功した食文化の代表例といえるだろう。

スギヨ カニカマ販売
上:第一回のアメリカ輸出/下:アメリカの売場でカニと一緒に販売される様子。真ん中で大きなスペースをとっているのがカニカマ(2016年)

“しょせんカニカマ”を払拭する「香り箱」

カニカマは時代とともに進化してきた。発売当初はフレークタイプ、その後、サラダなどに使いやすいスティックタイプになり、90年代はよりカニらしい製品が生まれた。

画期的な食材であることは誰もが認めるところだが、手頃な価格も影響して、“しょせんカニカマ”と思われてしまう悩みもある。杉野さんは「日本人は食べ物に対して天然信仰が強い」と指摘する。「天然ものは品質にばらつきがあります。カニカマは、いつどこで買っても美味しく食べられるのがいいところなんですが」と水越さん。

2004年、スギヨは“しょせんカニカマ”のイメージを払拭する商品を発売。限りなくカニに近い本物志向のカニカマ「香り箱」だ。2006年、スギヨは「香り箱」の開発技術などが評価され、農林水産祭で最高栄誉の「天皇杯」を受賞した。

「それまでの受賞は一次産業の取り組みが中心でしたが、『香り箱』は初めて水産加工品として評価され、スギヨは天皇杯をいただきました。選定の際、とある大学の先生が熱心に推してくださったそうで。選考委員の方々のなかには、加工度が高いものに対する抵抗感もあったようなのですが、『これだけ本物に近いものを作れる技術を評価しないと』とその先生が説得してくださったと聞いています」(杉野)

スギヨ 「香り箱」
「香り箱」

雌のカニをイメージした「香り箱」に対して、雄・雌のカニの“いいとこどり”をした「香り箱 極」も2023年に発売した。杉野さんは、「手前味噌ですけれど、一番品質が高く美味しいカニカマは弊社の『香り箱 極』だと思います」と太鼓判を押す。雄・雌のカニの味わいを合わせるという、人工だからこそ実現する食品だ。二人がおすすめの食べ方を教えてくれた。

「しゃぶしゃぶにしてポン酢をつけて食べると、本当にカニのようですし、出汁は雑炊に使えます」(杉野)

「カニと同じように使うのはもちろん、カニだともったいないような時でも気兼ねなく使えて、汎用性があります。『カニカマ100皿』というレシピ本も出ているのです」(水越)

『カニカマ100皿』(カニカマファンクラブ著 文藝春秋)は有志が作った本で、スギヨは全面協力している。カニカマを愛し、独自に発信してくれる根強いファンがいるのだ。

『カニカマ100皿』(カニカマファンクラブ著 文藝春秋)
『カニカマ100皿』(カニカマファンクラブ著 文藝春秋)

こうして国内外で食卓の味方になった“大発明”のカニカマだが、特許は取得していないという。1972年当時、製造法の特許がなく、他のメーカーも追随して開発に励んだ。特許がなかったことについて、杉野さんはポジティブに捉えている。

「特許があったら、今のように広がっていたでしょうか。我も我もとみんなが真似していくからこそ、カニカマが“発明品”になった。その競争がなければ、私たちも『香り箱』を作れなかったかもしれません。最初に作った会社として負けるわけにはいかないという意地があって、ハイエンドモデルを生み出せたのです」(杉野)

カニカマ50周年動画でストーリーを伝える

カニカマ50周年を迎えた2022年、水越さんは「カニカマ誕生50周年記念ムービー」を制作した。

水越さんは、コロナ禍の2021年、経済産業省が実施していた「J-LOD(コンテンツグローバル需要創出促進・基盤強化事業費補助金)」の説明会に参加。そこで紹介されたブランデッドムービー専門の会社に依頼し、動画制作に取りかかった。

制作にあたって、今の社員だけでなく、カニカマの開発者など引退した人たちも訪ね、開発秘話を聞き取った。そして、「カニカマ氏」という英国紳士風のオリジナルキャラクターが自らの生い立ち「カニカマ史」を語る、ストーリー仕立ての映像が完成する。

カニカマ誕生50周年記念ムービー「カニカマ氏、語る。」 | 株式会社スギヨ

社員はみんな、『人工クラゲの失敗から生まれた』など、知識としては知っているのですが、どういう思いで始めて、どういうふうに失敗を乗り越えて作られたのか、実感は湧かないと思います。それを映像にすると、当時の様子を自分のことのように感じることができる。こういう人たちがいたからこそ、今自分がカニカマを作っているんだ、と」(水越)

動画制作はカニカマを売るための施策ではなく、エピソードを掘り起こして編集し、歴史を届ける広報PRといえるだろう。未来の社員に向けて、開発者精神のある会社だと伝える役割も果たしている。

採用説明会でも、この動画を流すと参加者の見る目が変わるのがわかるそうです。“田舎の企業”から“世界に向けて挑戦している企業”へと印象が変わるみたいで」(水越)

水越さんが広報主導でこうした動画を作るに至った背景には、広報PRに対する社内の認識の変化があった。

「以前は、いいものを作っておけば自ずとお客さんはついてくる、宣伝はCMに任せておけばいい、といったスタンスでした。でも、徐々に環境も変わってきて。技術力が上がって美味しいものを作るメーカーは増えていますし、ちゃんと認知を広げる努力をしなければ手に取ってもらえません。また、CMの効果も昔ほど上がらなくなってきていました。SNSの影響力も大きい今、広報PRの機能を見直したほうがいいと。2010年代後半から、広報PRの重要性が認識されるようになりました」(杉野)

そうしてSNSの運用も進み、消費者と直接コミュニケーションをとることが日常になった。それが重要な役割を果たしたのが、能登半島地震だ。

震災で実感した「能登」というアイデンティティ

天井が崩落した工場
天井が崩落した工場

2024年1月1日に起きた能登半島地震で、七尾市内の本社と3工場が被災。スギヨはすぐに復旧作業に動き出す。地域や会社の状況を発信できる手段は、XをはじめとするSNSだった。

「工場が止まった時にもいち早くお知らせしましたし、『工場の再開は◯日です』と伝えた後に、『ごめんなさい。人手不足で工事延期になりました』『本当に再開できます』など、タイムリーに知らせることができました。道路の様子や、『地下水を無料開放するので自由に汲んでください』といったことも。その都度、消費者の方から何百もの応援メッセージをいただきました」(水越)

復旧作業に取り組むなか、杉野さんは気づいた。

社員みんなが復旧に励み、仕事や会社、能登に対する愛情を強く感じました。会長が若い頃、先々代の会長に『本社を東京に移してはどうか』と提案したら、ものすごく怒られたそうなんです。『うちは能登だからこそやっていけるんだ』と。震災で、スギヨという会社は能登の食文化、能登の人によって成立している会社なんだと痛感しました」(杉野)

震災から1年、水越さんは先述の「カニカマ氏」を再登場させた動画「震災1年 カニカマ氏、語りたい。」を制作した。

「地震の直後は報道も多いですが、関心は薄れていってしまいます。震災1年のタイミングに合わせて、能登の様子を伝えたいと思いました。まだ蔵などは崩壊している状態でしたし、現在進行形で復興に取り組んでいる姿を伝えようと。大変な状態に直面している人たちが現状を発信するのは難しいと思います。スギヨは6月末に概ね復旧していたので、私たちが能登のことを発信していこうと考えました。当初から会長も『早くスギヨが復旧すれば能登のために尽力できるんだ』と話していたのです」(水越)

参考:能登半島地震1年を越えて 復興へ歩む姿を映す 映像公開 株式会社スギヨ

七尾市や輪島市の人たちを訪ね、日々を映した。あえてインタビューはなく、仕事や生活を丁寧に追う動画が、人々の思いを静かに伝える。

みなさん、話したいことはいっぱいあると思うんです。それを10秒でしゃべってください、みたいにするのも乱暴ですし、とても語りきれないでしょう。キーワードをテキストで見せながら、姿や表情を捉えることで、思いを感じとってもらえたらと。誰もが前向きにならないといけないわけではないですし、心の傷が癒えていない方もいる。『がんばろう』と強要するのではなく、フラットに伝えたいと思いました」(水越)

ホームページやYouTubeのほか、全国のスーパーマーケットなどで展開。さまざまな反響を得た。

「『1年経っているからもっと復旧していると思っていた』という声もありました。過去の出来事になっていたところを思い出してもらえた面があったと思います。少しでも思い出して、能登のものを買ってもらえたら。能登の人たちにも、『いい動画を作ってくれてありがとう』と言ってもらえたのはよかったです。スギヨの独りよがりになってしまったらどうしようと、心配もしていたので」(水越)

“能登の代表”として発信しようとしているわけではない。

「あくまで、動ける人間がやろうということです。能登のなかで大きい会社ではあるので、その影響力を使って能登のことを知ってもらえるなら。能登という地域が残らないことには、いずれスギヨも衰退してしまいます」(杉野)

能登で育まれてきたスギヨの使命

スギヨは2007年に農業事業に参入し、耕作放棄地を再利用してきた。

「耕作放棄地がずっとそのままだと、いつか後継者が見つかった時、すぐ生産できるかというと難しいでしょう。次の世代へ受け継ぐために、土地を一時お預かりするという思いも込めて取り組んでいます」(水越)

震災後に使えなくなってしまった土地も多いが、また仕切り直していくという。

弊社の発展と能登の発展はリンクしています。繰り返しになりますが、能登の食文化や人々の気質によって育まれてきた会社です。能登が消滅可能性のある時に、恩返しをしないのは義理を欠く。ちゃんとやっていこうと明確に思っています」(杉野)

スギヨファームのキャベツ畑
スギヨファームのキャベツ畑

あらためて能登の魅力について尋ねると、杉野さんはこう語る。

『能登はやさしや土までも』という言葉があります。外から来た人を温かくもてなす人々の気質や風土を表している言葉です。それの極まったところが、老舗旅館の加賀屋さんであったり。僕は人生の半分以上、能登で暮らしていますが、友人を招くと『そんなにもてなしてくれるの?』と驚かれることもあります。それから、やっぱり食文化。かぶら寿司などの郷土料理もありますし、加賀料理は登録無形文化財に指定されています。加賀料理のバックボーンには、海の近くだから得られる資源がある。素材のよさを引き出す料理につながっていると思います」(杉野)

スギヨに脈々と受け継がれている開発者精神も、能登の人たちの気質だと二人は口を揃える。

立地条件もあるでしょうね。東京や大阪から遠いので、都心に近い工場と同じものを作っても、物流コストの関係で価格が割高になってしまいます。他ではできないものを作らなければならないという必要に迫られた面もあると思います」(水越)

本社を構える七尾市
本社を構える七尾市

今、水越さんが広報PRとして発信していきたいのは、スギヨと能登の挑戦する姿勢だという。

人工クラゲの失敗からカニカマを生み出したスギヨには、常に挑戦しようとする姿勢があります。震災後も、被災された企業さんとコラボするなど、さまざまな挑戦をしてきました。能登の方々もそれぞれが挑戦を続けている。そういうことを広く発信することが、復興に役立つのではないかと思います」(水越)

杉野さんは「新生スギヨ」の社長として、こんなメッセージを発信している。

〈能登の恵み、伝統の食文化、そして私たちが培ってきた先進の加工技術と開発力を相乗させ、困難を乗り越えた新しい「食」を世界へ届け、その利益を地域へ還元する。この循環型事業の確立こそが、新生スギヨの使命です〉

この言葉から感じるのは、どこに根を張るか、その帰属意識が思いを強くすること。「能登だからこそやっていける」。自然や風土のもとで文化が生まれ、地域、企業、人が一体となって土地の魅力を編集し、歴史を紡いでいく。その営みが続くことを願う、一人ひとりの気持ちが原動力となるのだろう。

(取材・文/塚原沙耶)

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